『パターソン』

私は終始不安な気持ちで映画を観ていた。何も起こらない映画だということは事前情報からわかっているし、主人公とその妻が幸せそうであることに全く疑いはなく、それでいて私はこの映画か怖くて仕方がなかった。これはインターネットにある数多くあるレビューとは異なる感想であり、もしかしたら私がこの映画に対して致命的な誤解をしている可能性も考えられる。そういう前提で読んでいただければと思う。
 
この映画を観た後に、私は誰に何と言っていいのかわからなくて、ツイッターで下記の内容(要約済み)を投稿した。
「『パターソン』観てて、なぜかわからないけどずっと不安な気持ちだったんだよね、何かが怖かった。2人が幸せそうなのは本当なんだけど、何も起きなさそうな安心感があったのも本当、でもずっと”何かが壊れる前の雰囲気”みたいなのが漂ってて、その要素が何なのか一向にわからなかった」知人が「あれは平穏な映画ではない、壊れそうなものを壊さないで保ち続けることができる人の話だと思った」とコメントをくれた。私の疑問はすっきりと腑に落ちたと同時に、この人は丁寧に映画を観ているんだなあと感心した。
 
・家の中に掛けられている飼い犬の絵を見て主人公が何とも言えない表情を浮かべるシーンが僅かに映った
・妻の洋服やカーテンのセンスに対してはどちらかというと無関心で、コメントを求められてはとってつけたような発言をしていた
・ギターを買ってあげると一度約束したのに次の日には上の空のようであった
・妻が一年以上も「あなたの詩は素晴らしいから、念のためにコピーを取って」と言っているのに、何が嫌なのか頑なに拒否をする。
なんとなく私は「この主人公は本当に妻のことが好きなのか?」と疑問に思ってしまうが、二人が幸せであることは明らかである。毎日持ち歩くアルミ素材のケースには妻の写真が貼られていて、毎朝妻を抱擁することで主人公は自分自身を確認しているようだった。毎朝のキスをかわし、些細な会話だってお互い相手を敬ったりケアしたりする言葉を選んで、コミュニケーションしている。
 
一方で2人のちぐはぐなやり取りに注目すると、どちらかが少しでも思いやる心を減らしてしまうと、関係が壊れてしまうような、薄っすらとした脆さがあった。それと同時に、そんなことは永劫起こらないような力強い空気を2人は纏っていて、噛み合わないやり取りだって何も気に留めることなく、主人公はポエムに、妻は音楽や料理作りに向き合っている。きっと私が怖かったのは、彼らのような生き方に何度も失敗しているからだと思う。曖昧なものをはっきりさせるために言葉を使い、お互いが嫌な気持ちになろうとも、はっきりとして関係が価値のあるものだと思っていた。壊れそうなものを壊してしまう、不安定な状態を保護するために優しく包む器量が無いから、それができなくて何度も失敗した経験があるから、二人の状態が私は怖かったのかもしれない。
 
壊れそうで壊れない二人の関係ととは対照的に、身の回りでは色々なものが壊れている。
・毎朝バスの出発時に声をかけてくるドニーは、家族のことで「最悪だ」と愚痴をこぼす
・行きつけのバーでは、破局したカップルが激しく言い争い、銃で自殺を試みる(おもちゃの銃だったけどね)
・毎日運転しているバスが電気系統のトラブルにより運転中に立ち往生してしまう
・犬の散歩をしているとガラの悪い連中に「その犬は高いんだろ?犬を大事に守っとけよ」と絡まれる(その割にバーの前に置き去りにしている)
・傾いて倒れそうなポストを毎日直している
などがそうかな、ほかにもありそうだな
 
そして物語の最後に大切なものが壊れてしまう。彼が詩を書き連ねているノートである。散々妻がコピーを取ってほしいと懇願していたのに、曖昧にかわし続けていたらこの様である。主人公はわかりやすく落ち込んでいるようだったが、旅行中の男性に新品のノートをもらうと、彼はその場で美しい詩を書いた。私はこのシーンで「そんな大切なものを失っても、そんなにすぐに立ち直っちゃうのか」と驚いた。彼は壊れそうなものを壊さないように保ち続けることができる上に、大切なものが壊れた後だって、軽々と立ち直ってしまう。
 
ところでノートが犬にかみ砕かれる直前の夜は妻への愛をテーマにした詩を書いていて、抽象的な内容が多い彼の詩の中では、目立って内容が具体的であった覚えがある。そして日本人から受け取った新品のノートに書いた詩は、とても抽象的な内容だった。「具体的なものは壊れやすく、また壊れる瞬間というものは、物事がはっきりした直後に訪れるものだ」そういったメッセージを感じた(実はここもかなり怖かった...)